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HPの歩み−1950年代

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1950年

ヒューレット・パッカードは1950年代に、エレクトロニクスの「新しい」技術ならびに成長の内部効果について多くを学び、成長そして成熟の過程を辿りました。「どのように」成長すべきかが「どの程度」成長すべきかと同じくらい熱心に討論されました。HPは苦心して会社の目的をまとめました。これが独特の経営哲学の基盤となり、「HP Way(HPウェイ)」の中核となりました。

1957年には株式上場を果たしました。ビル・ヒューレットとデイブ・パッカードの社員に対する敬意を貫くために、HPは社員に株式取得権を与えるという当時としては珍しい措置を講じました。

カリフォルニア州パロ アルトにおける1957年当時の生産作業

カリフォルニア州パロ アルトにおける1957年当時の生産作業


この成長企業はカリフォルニア州パロ アルト市で、HPの本社となるビル建設に着手しました。また、ヨーロッパにも生産拠点と販売拠点を構築し、グローバル化への一歩も踏み出しました。


1951年

HPは高速周波数カウンタ(HP 524A)を開発し、高周波の計測所要時間を大幅(約10分から1〜2秒)に短縮しました。ラジオ局は周波数安定度に関するFCC規則に準拠するために、このHP 524Aを使用して周波数を正確に設定しました。以後長年にわたり、周波数カウンタと関連製品は数十億ドルの売上高を占めることとなります。

売上高:550万ドル、社員:215人

HP 524A

HP 524A



1956年

HPは初のオシロスコープを生産しました(130A/150A)。オシロスコープは変動する電気量の変化をスクリーン上に波形として表示するもので、以後、HPの計測製品の重要な分野になりました。

売上高:2,030万ドル、社員:901人


1957年

HPは上場会社になりました。1957年11月6日に、1株当たり16ドルで新規株式公開を実施しました。勤続期間6ヶ月以上の社員全員が株式取得権を自動的に取得し、ストック・オプション・プログラムの適用をうけられるようになりました。

社外で行った初の上級管理職によるミーティングで、HPの会社の目的が明文化されました。マネージメント・バイ・オブジェクティブ(MBO:目標管理)の実践を維持していくため急成長企業において、経営陣の日々の決断の指針となるよう、こうした会社の目的を設定しました。デイブは後にこの会議について「全員が会社の目的について合意し、何をしようとしているのかを理解することができれば、管理を厳しくしなくとも、共通の方向に進むことになると考えた」と語っています。会社の目的は次の7項目からなります。即ち、利益(profit)、顧客(customers)、事業(fields of interest)、成長(growth)、従業員(our people)、経営(management)、良き市民(citizenship)です。こうした経営哲学は、多くの企業におけるトップダウン型経営スタイルとまったく異なるもので、HPの経営スタイルの基盤となり、「HP Way」として知られるようになります。

HPの新本社

HPの新本社
HPはパロ アルト市スタンフォード・インダストリアル・パーク内の最初のビルで製造を開始しました。1960年には、ページミル通り1501番地への移転を完了し、ここを本社としました。丘の上の50エーカーの敷地にできた新しい施設は、魅力的で快適な環境が整わなければ、仕事への満足度や能力の活用を最大化することはできないというこの企業の哲学を具現化したものでした。空調の効いた建物はサンフランシスコ湾の南方を見渡し、自然光を最大限に取り込んでいます。敷地内には社員のために、緑豊かな中庭、蹄鉄投げのピット、バレーボールコート、バトミントンコート、大型カフェテリアがありました。

売上高:2,800万ドル、社員:1,778人


1958年

HPは初の買収を行いました。カリフォルニア州バサデナに拠点を構える高品質グラフィック・レコーダ・メーカーのF. L. Moseley Companyを買収したことで、HPはプロッタ事業に参入し、これが後にプリンタ事業へと発展します。

HPは規模の拡大によって機動力を失わないように、事業部制を確立しました。各製品グループは自立した組織として、各々の製品開発、製造、マーケティングに責任を持つようになりました。グループは人員が1,500名に達すると分割され、分割された各グループは各自の損益について責任を負います。この分権化によって、HPは状況の変化に対応して迅速に動くことが可能になり、過度に官僚的な機構を回避していきました。

ビルは1957年のローマ協定と欧州共同市場の2つの動向から、欧州に米国企業の新たな可能性があると考えました。ビルは欧州に行き、HPの拠点構築について調査しました。

売上高:3,050万ドル、社員:1,778人


1959年

HPはグローバル企業になりました。ビルの調査旅行の結果、HPはスイスのジュネーブに欧州のマーケティング組織を、西ドイツのボブリンゲンに製造プラントを設立しました。この拠点から、HPは欧州での事業を着実に拡大していきます。

HPは社員持株制度を実施しました。

売上高:4,800万ドル、社員:2,378人

ボブリンゲン

ボブリンゲン


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