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HPの歩み−1960年代

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1960年代

HPは計測器市場で成長の一途を辿り、医療用電子機器や分析機器などの関連分野にも進出しました。1966年には、HP初のコンピュータ(HP 2116A)を開発し、コンピュータ事業にも参入しました。

HPは数社の子会社を設立して、引き続き海外事業を拡大しました。1960年代初期には、日本での合弁事業によって、アジアへの進出も図りました。米国内では、パロ アルト以外に初の生産プラントを設立しました。

HPは革新的で見事に経営されている企業として、そして素晴らしい職場(“great place to work”)として知られるようになってきました。

1963年当時のビルとデイブ

1963年当時のビルとデイブ



1960年

HPは、パロ アルト以外の初の生産プラントをコロラド州ラブランドに建設しました。

売上高:6,070万ドル、社員:3,021人


1961年

ニューヨーク証券取引所に表示されるHWP

ニューヨーク証券取引所に
表示されるHWP

1961年3月17日にニューヨーク証券取引所(NYSE)の「ビッグボード」に初めてHPの株価が表示されました。HPは、NYSEとパシフィック証券取引所に取引記号HWPで同時に上場しました。

HPはマサチューセッツ州ウォルサムのサンボーン・カンパニーを買収して、医療分野への拡大を図りました。医療用電子機器事業はHPの重要な収益源となり、最終的には2000年にHPから分社したアジレント・テクノロジーのビジネスの一角を形成することになります。

売上高:8,790万ドル、社員:5,040人


1962年

HPは「フォーチュン」誌の米国企業上位500社に初登場しました。順位は460位でしたが、以後の数十年間、毎年順位を上げていきます。

売上高:1億1,000万ドル、社員:6,260人


1963年

HPはアジア市場に進出し、東京に横河電機株式会社と初の合弁会社、横河・ヒューレット・パッカード(YHP)を設立しました。1963年までに、海外事業の売上比率はすでに18%に達し、西欧、カナダ、日本が最大の海外市場となっていました。

周波数シンセサイザ5100Aを発売。これは、HPがこれまでに開発した製品の中で最も複雑な製品の1つで、複数の機器の作業をすべて実行し、精度も非常に高くなっていました。この5100Aは自動化テスト、先端通信システム、深宇宙輸送手段との通信に利用されています。

売上高:1億1,700万ドル、社員:6,598人

HP初の合弁会社:横河・ヒューレット・パッカード

HP初の合弁会社:
横河・ヒューレット・パッカード



1964年

HPは創立25周年を迎えました。

デイブ・パッカードはCEO兼取締役会長に、ビル・ヒューレットは社長に選任されました。

高精度のセシウムビーム型原子時計HP 5060Aがパロ アルトからスイスに移送され、ワシントンD. C.の米国海軍研究所で管理されている時間とニューシャテルのスイス天文台の時間が比較されると、この時計は「空飛ぶ時計」として世界中に認知されるようになりました。この原子時計は、誤差を3000年にわずか1秒に維持するように設計されています。現在では、このセシウムビーム型標準器が国際時間の標準になっています。原子時計は、スペースシャトルの運行、航空機衝突回避システム、電気通信など、時間の正確さが重要な分野で、真価を発揮しています。

民間団体として、デビッド・アンド・ルシール・パッカード財団を設立。

売上高:1億2,600万ドル、社員:7,092人

「空飛ぶ時計」

「空飛ぶ時計」



1965年

HPはペンシルベニア州エイボンデールのF&Mサイエンティフィック・コーポレーションを買収し、分析機器分野に進出しました。この買収によって、HPは計測ならびに検査に関する専門知識を化学分析の分野にも拡大することができました。

売上高:1億6,500万ドル、社員:9,033人


1966年

HPの中央研究施設としてHP研究所を設立。民間企業の研究センターとしては世界の主力研究所の1つに数えられる同研究所の歴史がここに幕を開けます。開設当時の主な研究分野は固体物理学、物理電子工学、電子工学、医療用ならびに化学用の電子機器などでした。

HP 2116A

HP 2116A

HPの第1号コンピュータHP 2116Aを発売。これは、成長著しい製品群であるプログラム可能な計測器の多目的コントローラとして開発されました。「プラグ・アンド・プレイ」の初期のバージョンとして研究所の多様な標準機器をインターフェースで接続することによって、顧客が計器システムをコンピュータ化することができるようになりました。この2116AはHPがそれまでに製造した単一の機器としては最大の製品であり、HPが初めて集積回路を使用した製品でもありました。

1966年当時、ほとんどのコンピュータは空調の効いた部屋でスプリング敷きの床の上に大切に設置する必要がありました。HPとしては、2116Aは接続する計測器と同じ環境テストに合格し、丈夫で信頼できる製品でなければならないと考えていました。こうした取り組みによって、2116Aは変貌を遂げ、どこでも使えて何でもする初のコンピュータになりました。1台目の2116Aはウッズ・ホール海洋研究所が購入し、調査船に積んで、塩気を含んだ空気の中で10年以上にわたって使用しました。磁気コア・メモリーを4Kから32Kに拡張可能にしたため、2116Aの価格はオプションによって2万5,000ドルから5万ドルとなりました。

リンドン・B・ジョンソン大統領はビル・ヒューレットを国家の科学諮問委員会の委員に指名しました(〜1969年)。委員会のメンバーは連邦政府に助言や忠告を与えます。

売上高:2億300万ドル、社員:11,309人


1967年

HPは他社に先駆けて「フレックス・タイム」という制度をドイツのボブリンゲンの事業所に導入しました。この制度を利用すると、社員は従来の勤務時間数を変えずに、出社時間を調整することができます。デイブは「私の考えでは、フレックス・タイムとは他者への敬意と信頼の本質である」と述べています。1973年には、このフレックス・タイム制はHPの米国内拠点すべてに導入されました。

ドイツのボブリンゲンのプラントからは、分娩中に胎児の状態を検出することで子供を守る非侵襲性胎児心臓モニターが発売されました。

売上高:2億4,300万ドル、社員12,131人


1968年

HP 9100A

HP 9100A

HPは世界初の卓上関数計算機HP 9100Aを発売しました。プログラム可能なこの計算機では、磁気カードにプログラムを保存するため、科学者は大型コンピュータを使わずに、複雑な計算を行うことができます。この計算機を使うと、多くの機械の10分の1の所要時間で科学や工学の問題を解くことができます。9100Aの広告では、この機器を「パーソナル・コンピュータ」と呼び、この用語を文書に初めて使用した例の1つとなりました。

民間団体として、ウィリアム・アンド・フローラ・ヒューレット財団を設立。

売上高:2億6,890万ドル、社員:13,430人


1969年

デイブが米国国防総省副長官に任命されました(1969年〜1971年)。デイブは自身の経営スキルを利用して、面倒な手順を徹底的に刷新し、軍の調達に新たに効率的なプロセスを導入しました。当時のウィリアム・J・ペリー国防長官によると、デイブの推奨する方法ににより、軍隊は予定以下のコストで急速に近代化されました。デイブは副長官任命の要請を受けると同時にHPを退社し、ビルがCEOに就任して、デイブ不在中のHPを運営しました。

ユーティリティ・コンピューティングの初期の事例として、HPは時分割オペレーティング・システムを搭載した最大16ユーザーをサポートするミニコンピュータ第1号を市場投入しました。

米国国防総省副長官に任命されるデイブ

米国国防総省副長官に
任命されるデイブ


売上高:3億2,600万ドル、社員:15,840人

1950年代 1970年代
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