Jump to content 日本-日本語
日本HPホーム 製品 & サービス サポート & ドライバー ソリューション ご購入方法
≫ お問い合わせ


会社情報 > HPについて > 沿革と概要 > HPの歴史

HPの歩み−1970年代

会社情報

HPについて
沿革と概要
HPの歴史
HPの歩み
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
バーチャル・ミュージアム
HP Garage
(HP創業のガレージを復元)
日本HPサイトマップ
コンテンツに進む
1970年代

HPはイノベーションの伝統を堅持し、新たなコンピュータ製品を数多く発売しました。そうした製品の中で最も重要だったのがHP-35です。これは世界初のハンドヘルド関数計算機で、この製品に先導されて、強力な携帯コンピュータの新時代が到来しました。

HPは新たなビジネス・チャンスを世界中に求め続けます。代表者を数回にわたって中国に派遣して下地を作り、最終的には中国との合弁事業を実現しました。

1970年代には収益と社員数が大幅に伸び、1976年には売上高が10億ドルを突破し、3年後の1979年には20億ドル台に乗りました。1970年代末近くになると、ビル・ヒューレットとデイブ・パッカードは日常の会社経営をジョン・ヤングに任せるようになりました。

HP−35:世界初のハンドヘルド関数計算機

「HP-35」 世界初の
ハンドヘルド関数
計算機



1970年

売上高:3億6,500万ドル、社員:16,000人


1971年

HPは100万分の1インチまで測定可能なレーザー干渉計を製造しました。工作機械の精度維持に理想的なこの製品によって、HPはこの市場で、世界的なリーダーとしての地位を確立します。

売上高:3億7,500万ドル、社員:16,540人


1972年

デイブが国防省副長官を退任してHPに戻り、取締役会長に選任され、ビルは社長兼CEOに留任しました。

HPは世界初のハンドヘルド関数計算機のHP-35によって、パーソナル・コンピュータの分野でさらなる進歩を遂げます。シャツのポケットに入るほど小型でかつ強力なHP-35の登場で、エンジニアの計算尺は時代遅れの代物になりました。2000年には、「フォーブスASAP」誌が世界を変えた「空前の20品目」の1つに、この製品を挙げました。

HP 3000

HP 3000

HPは、同社初の汎用コンピュータHP 3000を携えて、ビジネス・コンピュータの分野に進出しました。汎用コンピュータは分散データ処理時代の先駆けとなるもので、HP 3000はハイテク工学と研究のニーズに応えると同時に、日常的な業務データの処理作業まで対応しました。

HPは、中国が通商問題を話し合うために招待した最初の米国エレクトロニクス企業となりました。

売上高:4億7,900万ドル、社員:20,941人


1973年

HPは米国企業で初めて、フレックスタイム制を導入しました。この制度のもとで、HPの社員は2時間の内の都合の良い時間に出社し、1日8時間の勤務を終えれば退社することができるようになりました。この制度の目的はビルが説明したとおり「家族と過ごす時間を増やすこと、私用を済ますこと、交通渋滞を避けること、その他個人のニーズを満たすこと」にあります。

HPは日本語を印字する最初の電子計算機を発売しました。この卓上計算機9810は、横河・ヒューレット・パッカードが日本市場で販売しました。

売上高:6億6,100万ドル、社員:28,255人


1974年

HPは磁気コアの代わりに4Kのダイナミック・ランダム・アクセス・メモリ(DRAM)をベースとする最初のミニコンピュータを発売しました。

世界初のプログラム可能なポケット計算機HP-65が795ドルで発売されました。この製品はプログラム可能であったことから、後に世界初のハンドヘルド型コンピュータと呼ばれるようになりました。

売上高:8億8,400万ドル、社員:28,877人


1975年

HPは標準インターフェースを作ることによって、計器システムの単純化を図りました。電子業界が国際標準としてHP-IB(インターフェース・バス)を採用したことから、複数の計測器がコンピュータに簡単に接続できるようになりました。

売上高:9億8,100万ドル、社員:30,239人


1977年

ビルは社長を辞任してCEOに専念します。デイブは取締役会長に留任し、ジョン・ヤングが社長に任命されました。ヤングは長年にわたってHPに在籍するエンジニアで、当時はHPの計測器/コンピュータ・システム/電子部品グループを担当するエグゼクティブ・バイス・プレジデントでした。ヤングの社長在任期間中に、HPはコンピュータ業界のリーダーに成長します。

HPはデジタル・ウォッチと計算機および個人のスケジュール帳を組み合わせた製品として、腕時計型の計測器HP-01を発売しました。多くのポケット計算機よりも高性能で洗練されたこの腕時計型計測器(コード名はクリケット)は36種類以上の機能を備え、時間、日程、数値データを処理、操作できるものでした。最初の個人情報機器の1つであるHP-01は、HPが製品の小型化に秀でていることを証明しました。非常に小型のパッケージ・エンジニアリングと同様、数理機能の小型化は工学上の偉業です。

HP-01

HP-01


デイブは中国当局が招待した非政府米国人グループの一員として、初めて中国を訪れました。この訪問で強い印象を受けたデイブは中国近代化の取り組みを支援する活動に携わるようになり、2年後の1979年には中国を再訪しました。

売上高:14億ドル、社員:35,062人


1978年

ビルがCEOを退任し、ジョン・ヤングが1992年までCEOを務めました。

売上高:19億ドル、社員:42,376人


1979年

デイブは2度目の訪中で、工場やその他の科学施設を訪れました。この訪中の主催者がヒューレット・パッカードとの合弁事業に関心を示したことから、その後の数年間に、HPと中国の代表団がビジネス関係の強化を図っていきました。そして、1985年にはついに中国ヒューレット・パッカードが設立されました。

ヒューレット・パッカード財団が設立されました。

売上高:24億ドル、社員:52,030人

1960年代 1980年代
印刷用画面へ印刷用画面へ
プライバシー ご利用条件・免責事項 ウェブマスターに連絡