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日本HP法人向けメールマガジン (月1回発行) 2004年6月24日号

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IT系ベンチャー企業の育成に賭ける 金髪の日本人
「サンブリッジ」社長 アレン・マイナー氏

筆者プロフィール

他国の技術を改良して製品化する「物まね大国」のイメージに古くからつきまとわれてきた日本……。しかし実は、「失われた10年」と言われた経済低迷の水面下で、最先端技術の開発の中心は米国から日本に移っていたのだ、とIT系ベンチャー支援会社「サンブリッジ」のアレン・マイナー社長。80年代、米国オラクル社の日本代表として来日して以来、長年日本のIT業界に携わってきた同氏が見たビジョンとは?

アレン・マイナー氏 サンブリッジ アレン・マイナー社長
米国生まれ。1986年、米国オラクル本社に入社。1987年、同社の初代日本代表として来日。13年に渡る日米国際部での要職を経て1999年退社。同年12月、東京にIT専門のベンチャー支援会社「サンブリッジ」を設立。著書に「私、日本に賭けています」(翔泳社 2001年)など。
「株式会社 サンブリッジ」
    1999年12月に設立されたIT企業を専門とするビジネス支援会社。ベンチャーキャピタル、新規ビジネス立ち上げ、マーケティング、技術・組織支援など、ベンチャーから大企業までを総合的に支援している。

「投資するからには、
総合的に支援して確実なものに育てる」

ベンチャーキャピタルという言葉にはとかく投機的なイメージがつきまとうが、ベンチャー企業の育成に必要なのは資金だけではない。顧客のニーズを引き出して、製品やサービスをいかに市場に提供していくか、という本格的なマーケティングとそれを支える技術が不可欠だ。さらに、優れた人材の採用、企業の成長に応じた組織作りも、成功の鍵となってくる。

マイナー氏はサンブリッジの業務を「ベンチャーハビタット(TM)」と呼ぶが、「生息地」を意味するHabitatという言葉を使ったのも、「ITベンチャーに投資するからには、総合的に支援して確実なものに育てる」というマイナー氏自身の経営哲学に基づくものだ。

マイナー氏は2000年4月、米オラクル社のバイスプレジデントの地位を捨て、インターネットバブルの象徴ともいえる渋谷・ビットバレーで、IT企業中心の投資・支援事業を始めた。その後バブルの崩壊で、外資のベンチャーキャピタルの多くが東京から姿を消していく中、サンブリッジは毎年平均5社の新規投資を続け、着実に経験を積んできた。すでにそのうちの2社がIPOを果たし、投資の回収も進みつつある。

「世界の投資家は『日本の時代は終わった』と口を揃え、中国やインドに関心を移しました。しかし、私自身は国内ベンチャーの可能性を非常にポジティブに見ています。実際、ベンチャー支援をやるにあたって、日本ほどいい環境はありません」。

まず、ITベンチャーの多いシリコンバレーではプレーヤーが多すぎる。日本は基本的な技術力ではシリコンバレーに劣らないばかりか、一部最先端の研究ではその水準を超えている。起業やIPOのプロセスはまだまだ効率がいいとはいえないが、ビジネス・アイディアや顧客志向では負けない。つまり、投資事業という枠からみれば、リーズナブルな投資額で、技術力・経営能力の両面で優れた会社を育てていくための土壌があり、環境が整いさえすれば日本が優位に立てる可能性は高い、と言うのだ。
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世界の最先端技術
イノベーションの中心は日本にある

しかも、実は「失われた10年」といわれる1990年前半のバブル経済崩壊からの10年の間に、最先端のIT技術の発祥地は米国から日本に移っており、日本発のイノベーションが世界に伸びていく時代が到来した、とマイナー氏は言う。

日本の産業は別の国で生まれた技術をベースに小型化・効率化するのはうまいが、自らの開発能力は低いと言われてきたし、ネットバブルの時代も「日本のITは遅れている。米国に追いつこう」という意識があった。しかし、携帯電話、カーナビ、ロボットおもちゃ、デジカメ、ゲーム機など、一般にはコンピュータとは意識されていないものの、機能的にはコンピュータを内蔵したIT家電は、日本を起点にブレークし世界的に広がりつつある。こうした技術は全部日本生まれである、と言うのだ。

「消費者向けIT家電に限って言えば、すでに米国の先を走っています。米国は60年代からメインフレーム(汎用)コンピュータの時代から世界のコンピュータ産業を牽引してきましたが、実際は既存のコンピュータを小型化し、ユーザ・インターフェイスをより安く使いやすいものにするという『改善的イノベーション』をやってきただけで、コンピュータとは何かという基本自体を変える『本質的イノベーション』は起こっていないのです。

残念ながら、メインフレーム、ミニコン、ワークステーション、パーソナル・コンピュータと、どの時代をとっても、日本生まれの企業は世界のトップを極めることができませんでした。その代わり、半導体やソフトウェアの技術を消費者向け製品に導入し始め、日本発の技術は携帯やデジカメのように全く違う製品として生まれ変わりました。その結果、急成長している最先端の商品の開発は日本へとその中心を移していったのです」。

さすがの米大手メーカーも、ようやくこの事実を認めるようになってきた。事実、2003年半ば過ぎから次々とIT家電市場へ野心を吐露するようになり、日本に競争を持ちかけている。マイナー氏が「今後の世界の最先端市場を引っ張るチャンスは日本にある」と言うのはこうした分析に基づいたものだ。

 ただ気になるのは、携帯電話もプラズマテレビも日本で先に市場が立ち上がっているのに、世界の場では出遅れ感があることだ。カメラ付きの携帯電話は米国でも人気上昇中だが、販売シェアの上位は韓国・北欧勢が握っている。

「日本のエンジニアは技術に対する向上心は非常に高い。ただ、日本は特殊だというコンプレックスが強いせいか、世界を前にすると足踏みしてしまうところがあるのかもしれません。高い技術力や徹底した顧客志向という特性を生かし、もっと自信を持って世界に出て行って欲しいです」

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金髪の日本人。
日本人より日本への想い入れは強い

ここでちょっとサンブリッジのサイト内にあるマイナー氏の自己紹介をのぞいてみよう。同氏は自らをこのように描いている。

「米国生まれ米国育ちの金髪の日本人。変な外人とも言われる私」日本に初めて出会ったのは、北海道でモルモン教の宣教師として2年間過ごした19歳の時。その時日本に一目惚れしたが、いつかまた戻ってくるとは思わなかった」。

ところが、1986年米オラクルに入社するとすぐに国際部の日本担当に抜擢され、翌1987年には同社の初代日本代表として東京に送り込まれた。その後10年に渡る日本勤務で、業界では商談もネイティブ並みの日本語でこなす「日本通」として知られるようになった。

米国本社に戻ってからは、Linux/オープンソースを担当し、最後は同分野担当のバイスプレジデントにもなった。この分野は今後の急成長が見込まれ魅力的ではあったが、一方では日本のネット・ベンチャーへの興味は捨て切れなかった、という。

そんなマイナー氏が日本に戻ってきたのは、傍目には当然の成り行きに見えなくもない。が、彼がサンブリッジを日本に設立したのは、日本にはまだIT専門のインキュベータの前例が少なかった1999年12月。米国はまだネットバブルの最盛期だった。「こんな時期になぜ?」と人には言われた。

「ベンチャーキャピタル業務では、会社に優秀な人材を呼び入れられるか、案件紹介が得られて、投資した後もどこかへ紹介できる人脈があるかどうかが、成功を左右します。私にはオラクル時代に培った人脈がありましたから、当時は『ベンチャー支援をやるなら日本しかない』と決心したのです」

とマイナー氏は振り返る。もちろん人脈は役に立った。ただ、5年経った今、マクロ経済から見てもベンチャー支援への土壌が整いつつある日本、そしてそれを含めたアジアが一番魅力的だと確信できるようになった。

「この5年間だけでも、商法改正、株式市場の整備など、ベンチャーを取り巻く環境はずいぶん向上しました。また、私たちの目も厳しくなっていて、ポートフォリオカンパニーの経営者の質、ビジネス・ポテンシャルも高くなっています。当面はアジアを視野に入れながら日本のITを中心に投資や支援を続けていきます」、とマイナー氏。

低迷を続けてきた日本経済も、ここに来てようやく息を吹き返しつつある。「ベンチャーの時代は終わった。これからは再び大手企業が力を発揮する」という人もいるが、マイナー氏自身は大手企業が元気を回復したことはベンチャーにとっては追い風である、と言う。

たとえば、マイクロソフト社のあるシアトルには、ソフトを開発するベンチャー企業が多数存在する。また、オラクルの周辺にはUNIXのアプリケーションを作る会社が多い。両者が共生関係を築きながら発展する時に、業界全体が目覚しい成長を遂げることの方が多い、と言うのである。マイナー氏の目指すベンチャーの育成は、言い換えれば産業全体の成長を視野に入れた壮大な夢にも通ずる。同氏が「日本人よりも日本に対する想い入れが強い」と言われるゆえんはそこにあるのかもしれない。

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川上 澄江 Sumie Kawakami プロフィール

川上 澄江氏 新聞記者、通信社記者、英文雑誌編集者を経て、現在フリーライター。著書に「新聞の秘密」(旧JICC出版)、「妻の恋」(共著、近日中にアストラ出版より発売)、「Grey & Other Accounts From Japan」(英文共著、近日中にChin Music Press出版より発売)がある。
   

近況 June 2004

  最近、シリコンバレーにあるITベンチャーのCEOをインタビューする機会があった。この方がとてもパワフルな女性だったこともあり、「女性のCEOをインタビューするのは嬉しいです」と言ったら、「いつまで持つかはわからないけどね」という答えと笑顔が返ってきた。シリコンバレーのエギゼクティブは高給取りだが、経営責任も高い。しかもその寿命はせいぜい3、4年なので、常に次のチャンスに目を向けておかないとならないと言う。彼女の笑顔に、危機感と隣り合わせのエネルギーを見たような気がした。  
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