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東京生産10周年記念 「MADE IN TOKYO」の歴史

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東京生産10周年記念
「高品質かつリーズナブル」「スピーディかつ正確な納期」という困難なチャレンジを成し遂げ、日々お客様に大きなメリットを提供するHPの「MADE IN TOKYO」モデル。HPがこの「東京生産」を開始してから、早いもので10年が経ちました。
日本で提供する製品を日本で作るということは、一見当たり前のようですが、その実現のために流された汗のことは意外に知られてはいません。そこで本特集では、「東京生産10周年」を記念して、パートナーの皆様と共に作り上げた東京生産の「MADE IN TOKYO」ビジネスモデルの歴史をお届けしたいと思います。

MADE IN TOKYO 創世記 1999年〜

パートナーと繰り返しディスカッションを重ね、顧客とパートナー両方を重視した直販モデルの誕生
 
日本HPの「東京生産」の歴史は、旧コンパックのあきる野工場(多摩事業所)時代に遡ります。当時、国内メーカーがまだどこも始めていなかった直販ビジネス「ダイレクトプラス」を立ち上げると同時に「東京生産」もスタートしました。その理由とは・・・。

低価格パソコンを日本市場に投入し、「コンパック・ショック」として価格破壊をもたらした旧コンパックでしたが、量産による大量在庫が大きな課題になっていました。一方で、当時、米国で躍進する直販ベンダーが日本にも進出し競争が激化。そこで顧客のオーダーを受けてから生産する受注生産であれば、在庫を抱えることもないという狙いもあり、「直販」ビジネスを検討する動きがでてまいりました。

しかし、旧コンパックのビジネスでは、ほぼ100%が販売代理店を介した間接販売だったために、他の外資系ベンダーと同じ形で「直販」を行うわけにはいきません。この打開策を見つけるために、同社の営業部隊は、担当する販売代理店を訪れ、徹底的にヒアリングを行なったのです。

古川 英樹氏
キヤノンマーケティング
ジャパン株式会社
ITSカンパニー
ITプロダクト推進本部
ITプロダクト企画部
ITプロダクト企画課チーフ
古川 英樹氏
 
当時のことを鮮明に覚えているという、キヤノンマーケティングジャパン株式会社ITSカンパニー ITプロダクト推進本部 ITプロダクト企画部ITプロダクト企画課チーフ 古川英樹氏は、こう語っています。 「ダイレクトプラスは’99年にスタートしていますが、実は1年近く前から、直販のビジネスモデルがどうあるべきかの話し合いを重ねました。両社にとってのメリットや問題点を洗い出しながら、一緒に作り上げたという思い入れが、今でもあります」。

こうしたディスカッションの末に誕生したのがパートナービジネスに比重を置いた「ダイレクトプラス」です。この直販ビジネスでは、顧客の望むカスタマイズモデルを、販売チャネルを通じて提供するという「ダイレクトパートナー制度」を用意しました。
さらに、ダイレクトプラス立ち上げメンバーたちは、製品競争力にもこだわりました。日本HPパーソナルシステムズ事業統括PSGサプライチェーン本部オペレーション部部長 近藤和豊は、こう語っています。「何よりも競合力のある製品が必要でした。そのために、顧客により近い生産拠点を持つことでフルカスタマイズ製品の受注と5営業日という短納期を可能にし、日本生産ならではの高品質な製品作りを実現する。そういう想いで、『ダイレクトプラス』立ち上げと同時に、東京生産を開始したのです。」

多くの国内ベンダーが海外に製造拠点を移す中で、あえて「日本生産」という選択肢を選び、まだどこのPCメーカーも実現していなかった「5営業日納品」を売りにした新ビジネス「ダイレクトプラス」は、社内からは「非常識」との声も囁かれる中で、1999年7月に旧コンパックあきる野工場でデスクトップPCの注文仕様生産(CTO)が開始されました。当初は様子見をしていた販売代理店も、数か月後にはダイレクトパートナービジネスに参入するなど、時代のニーズにも後押しされて、スタート1年後、ビジネスは当初の予想以上の実績を上げていきました。こうした中、2000年には、デスクトップ製品の受注生産(BTO)を開始、続いて、2001年春にはワークステーション製品の生産が開始されたのです。
 
旧コンパックあきる野工場 〜年表〜
1998年: 販売代理店様とのディスカッションを含めた
『ダイレクトプラス』計画
1999年: ダイレクトプラスと共に『東京生産』をスタート
デスクトップPC製品の『注文仕様生産(CTO)』を開始
2000年: 『受注生産(BTO)』開始
2001年: ワークステーション製品の生産開始
旧コンパックあきる野工場      
 

MADE IN TOKYO 日本生産の危機 2002年〜

2002年11月、日本HPとコンパックコンピュータとの合併・統合が行われましたが、当時その裏で日本法人は、大きな問題に直面していました。「国内工場閉鎖の危機」です。
 
両社共にアジア諸国に多数の製造拠点を持っていたため、これらの統廃合が検討され、海外本社の上層部からは、日本国内に工場を持つ必要性が問われていたのです。「当時の製造・技術本部長が(上層部のいる)シンガポールに出向き、日本の工場の存続を訴えたが、なかなか首を縦に振って貰えなかった」と当時のことを、日本HPパーソナルシステムズ事業統括PSGサプライチェーン本部 本部長 兼 昭島事業所長 清水直行は振り返ります。

あきる野工場
社内では、PCビジネス全体の危機にも繋がり兼ねないという危機感もあり、営業社員達も工場存続を強く願っていました。その後押しの中で、物流コストや顧客に届けるトータル時間の比較、コスト比較のシミュレーションを何度も何度もプランしなおして提示するなど、数か月にわたり辛抱強く、熱意を持って本社への説明を続けた結果、ついに工場存続が承認されたのです。

しかし、そこには、新たな課題が突き付けられていました。これまでのあきる野工場から、日本HPがUNIXサーバーの生産拠点として活用していた昭島工場へと、PCの生産拠点を移すことが存続の条件となっていたのです。当時、製造・技術部長であった清水は、この決定に驚きを隠せなかったと言います。「移す先の昭島工場の生産フロア面積は当時のあきる野工場の3/4程度しか確保できず、そこに生産キャパを落とさずに生産ラインを入れるという決断をしました。これは生産現場にとって大きなチャレンジとなりました」。

スペースの問題以外にも、本社に提示した「東京生産」としての費用対効果を実現させなければなりません。「とにかくやるしかない!」と清水。
こうした状況下で、現在の昭島工場の大きな特徴となっている、短いライン構成でスピーディな生産を実現する『ショートライン方式』や、部材倉庫を同施設内に持ちながらの『VMI(ベンダー管理在庫)方式』といった仕組みが誕生したのです。そして、ここでの苦労は、後に効率化とコスト削減の面で大きな効果を生み出すことになります。

2003年1月には昭島工場への移転が完了。工場関係者も営業部隊も一丸となった「東京生産」存続への取り組みが功を成したのか、生産台数は移転直後に移転前の40%増を記録しました。この勢いは止まらず、昼間だけの生産では追い付かなくなり、同年の5月には2シフト体制を導入します。

神本 浩一氏
株式会社リコー
グローバルマーケティング本部
NSS事業センター
NS事業推進室
OSOセンター 担当マネージャー
神本 浩一氏
 
 
 
一度は日本工場の閉鎖がほぼ決定したにも関わらず、あくまで東京生産にこだわり続けてきた『ダイレクトプラス』のPC製品について、株式会社リコー グローバルマーケティング本部NSS事業センター NS事業推進室 OSOセンター 担当マネージャー 神本浩一氏は、次のように評価します。 「私たちのお客様に、納期をはっきり言えること、納期の遅れなどでお客様の導入行程やスケジュールに影響を与えないことは、大変重要なビジネスポイントとなっています。CTO開始当時は、慣れない部分もあり、躊躇することもありましたが、現場が付き合いを重ねるに連れて、お互いに状況を把握し、現在に至っているのではないかと思います。

また、単純に導入スケジュールを守るというだけではなく、国内生産に対しての信頼感は非常に高いと思っています。以前、中国生産の品質が非常に悪く、お客様からクレームをいただいたことがありましたが、そうした製品と比較すると、昭島工場で生産されるPCの初期不良率は低く、それは“雲泥の差”と言えるほどです。東京生産であることによって出荷を確定でき、不具合の発生率も大変低い、この2つのポイントは、私たちのお客様の業務を延滞させないといった点でも大変メリットがあるものと見ています」。

ここで語られている初期不良の軽減は、東京生産によるもう一つの大きなメリットでした。以前の海外生産では、日本への輸送時に起こる振動や衝撃、温湿度の変化等から、どうしても不具合が発生しやすいという問題を抱えていましたが、それが解消されたため、初期不良率がぐっと軽減されたのです。現在の初期不良率は海外生産当時の約35%にまで低下しています。
 
ちなみに昭島工場内には、合併前の東京生産創世記の清水を含む当時の主要メンバーによって掲げられた「改善の基本姿勢10ヵ条」が、現在も尚教訓として掲示されており、関係者たちは常にその心掛けをもって努力を続けています。 改善の基本姿勢10ヵ条

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〜年表〜  
2002年11月: 日本HPとコンパックコンピュータが合併・統合
東京生産存続の危機!
 
2003年 1月: 昭島工場への移管完了・生産スタート  
2003年 5月: 4本の生産ラインを使った最大24時間体制
(8時間の2シフト制)へと拡張
 
 
日本ヒューレット・パッカード株式会社
パーソナルシステムズ事業統括
PSGサプライチェーン本部

(右)本部長・昭島事業所長
清水 直行
(左)オペレーション部 部長
近藤 和豊
近藤さん、清水さん
   
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